いも焼酎を捨てていく選択肢は持ち合わせていない

昨日、尊敬する先輩であり友人でありお世話になった人と最後に飲んだ。いや、本当に飲んだ。昼から飲んで夕方帰ってよし引っ越し準備だ!と思いダンボールを組み立てたところで力尽きるぐらい飲んだ(2時間後ちゃんと仕事した)。近況もそうだし、未来のこともたくさん話せた。とにかく話せた。最近、送別してくれた親しい友人たちと話してよく出てくるのは「生きているということ」「いつだって死は隣にあること」「まだ死にたくないこと」「生き残るためのこと」こんな感じのことだ。みんなそれぞれタフに洗濯をしながらストイックに生きている。そんな友人に囲まれて僕は幸せだと思う。僕は本当に大したことない人間だけど、自慢できる友人がたくさんいることは本当にありがたい。そして少なくとも僕は彼彼女らと高め合っていると感じられることが本当に尊い。そんな中でいろんなリスクを選択しながら、でもご機嫌に、チャレンジ精神に満ちた生き方をしたいぜ、という思いが「生きる」という言葉にある気がする。

昨日の別れ際、背中を2度、やや力強く叩かれた。その力加減にいろんな思いを感じながら、ありがたさと嬉しさとやっぱり寂しいなという気持ちと、そして絶対生き残ってやる、という気持ちが複雑に溢れてきた。この気持ちはしばらく忘れないでおこうと思った。

なんでいったらいいかわかんないんですけど、とりあえず頑張ります。