わたしにとっての生成AIチャットボットの影響ちょっと長いよ)

最近ある事柄について、チャットに相談していた。事務的で専門的なアドバイスが多い気がしたが、何が幸せなのかわからなくなってきた。結論から言うと、人間関係のことはチャットボットには相談しないほうがいいのかもしれないと思ったという話だ。

話を分かりやすくするために、微妙に話を歪曲させて書いてみようと思う。

私はAさんについての相談をしていた。Aさんと話すのが結構しんどいな~と思っていたのである。すると、距離を置こうとか、それはかなりきつい体験だとか、心理学的にもキテいるとかいろいろ言ってくれた。

確かにそうなのかもしれないと思った。私は最近ではAさんのことが苦手だと考えていたし、正直話せば喧嘩になってしまいそうなひりひり感がいつもあった。だからそれも正しいのかもしれない、そんな風に思っていた。

しかしだ、アドバイスに従っているとだんだん、Aさんに対しての感覚が鋭敏になってきた。もう絶対触れたくない、話したくない、話すべきではないのだ、とかそっちの方に心の傾きが強くなってきた感じがしてきた。体調も悪くなってきた。いつもお腹が痛い、いつも痛まないところまで痛む。アドバイスに従うと、Aさんとの距離は離れたが、それ以上に影響が大きい気がしてきた。Aさんと一緒の空間にいるのがつらくなってきたし、Aさんの顔も、Aさんと一緒にいる人との会話も避けるようになっていた。何より、それが自分の中で「無理している」感じになっていた。その結果、その無理している感覚があきらかに「痛み」として発現している感じがした。

確かにAさんとは話さなくてよいなら話したくないし、Aさんがやったことに対して嫌悪感を持つことが短期間でいくつかあったが、それ以上に自分で自分を追い詰めてしまうような形になっていた。確かにAIは「あなたの体調が一番」と言ってくれたが、質問すればするほど彼(あるいは彼女)は答えてくれるから、どんどん深いところまで行ってしまっていたのだと思う。

この利用のバランスはすごく難しいと思った。メンタルセルフケアに使えるかもと思っていたのだが、私たち人間はそれ以上に「あいまいさ」みたいなところを大事にしているのだと実感した。極端に生活していると、自分の意志のキャパシティみたいなものがいっぱいになってしまう、あいまいさというのはそのキャパシティに少し隙間を空けておいてくれる重要なものなのではないかと思った。よく人間に相談すると「わかんないな~」とか「そんなこともあるよね」とか返事はあいまいだった。いや、解決策が欲しいんだよ、と私は私なりの必死さで思ったのだが、最初から答えなんてものはなかったのだ。人間はその答えのなさを「あいまいに」返事してくれていたことにいまさら築いた。

実際に私はAさんと「話す必要がある」。これは間違いない事実だ。そして今まで培われた環境もあるから、AIの言う通りになんて絶対できないはずなのだ。そう、少し考えればそんなことわかるはずだった。その即時性や便利さ、そして快適さに自分の心は少し今までと違う状態になってしまったのかもしれない。AIの危険性はたびたび指摘されてきた。こういう経験があっても、私は危険というよりも活用すべきだと考える。危険なのはAIに依存してしまう人間の方である。だから、できるだけいろんなリソースを持っているべきだし、対人コミュニケーションをすべきなんだと思う。AIだけを信じてしまうような状態になるのは、これは「信じる者は救われる」というのと同じ状態だ。それで幸せで、その思想によって想定しない誰かに迷惑をかけないのならそれでいいのかもしれない、幸せなことなのかもしれないとすら思う。でも、自分の心がざわつくなら、それはいったん距離を置いた方がいい、と私は思う。

今週のお題「これに影響を受けました!」について、ややネガティブだが自分にとって結構大事なことだったので記しておく。また、同じような悩みを抱えている人もいるかもしれないので、そんな人の何かしらのきっかけになるかもしれないとおもってお題と紐づけた。

たぶん、僕はAIに人間関係のことを相談することはないだろう。