ラーメンを作って食べる

今週のお題「大人になったなと感じるとき」ということです。
突然ですが、私は食べることが大好きです。今日はそういう話をしてみましょう。

皆さんは、「ハンバーガーを腹いっぱい食べてみたい!」とか「アイスクリームに埋もれてみたい」とかそういった願望を持つとき、ありませんか。
わたしは割と頻繁にそういったことを感じてきました。

中でも、自宅で食事するときは「もっと食べたい」と思うことが多かった気がします。わたしは小学生まで一家6〜7人で暮らしていました。その結果、料理は基本的に等分され、満足な量を食べられないということがしばしばありました。

中でも記憶に残っているのは、ラーメンです。わたしは田舎出身で、最寄りのラーメン屋までは車で30分。加えて、家庭の仕事柄、外食に行くことは多くなかったと思います。外食に行くときは、父が好きだったのものありますが、ラーメンなどが多かった気がします。よってラーメンは好きな食べ物の一つでしたし、今もそうです。

そういった状況なので、自宅でラーメンが提供されることもしばしばありました。おそらく生麺を茹でて、麒麟みたいなマークがついた缶のスープを使って作っていたのだと思います。お店のラーメンのほうが美味しいのだけども、ラーメンを家で食べるということはとてもスペシャルな体験でした。普段外でしか食べられないものを家で食べるのですから。

ラーメンはおかわりするものではありませんでした。ご存知の方もいると思いますが、替え玉は限られた文化圏のものです。わたしの少年時代の北海道には、大盛りはあれど替え玉はありませんでした。大学生の頃に宮崎で替え玉をしたときは感動した記憶があります(食べ放題の辛子高菜も。初めて先輩におごってもらったのも宮崎のラーメンでした)。
つまり、家庭でも替え玉はありませんでした。足りない?白米を食べたら良いじゃない!ということです。

わたしは大人になってしまいました。収入を得、料理もできるようになり、食べたいものを食べるために様々なコントロールを行うこともできるようになりました。
家庭で作るラーメンもその一つです。

今日は生麺を買って、スープのもとを買い、ポニョをイメージしてハムを買い、ゆで卵を茹で、メンマを用意し、大量にキャベツともやし(茹でて塩もみ)を用意しました。
それぞれ丼に盛り付け、温かいうちに一気にすする!(熱々をキープしたまま食べるのは難しい)
そんな美味しさを、麺さえ買えばいつまでも繰り返せることを知ってしまったのです。

僕は地方とはいえ、県庁所在地のどまんなかで仕事をし、いつだってラーメンが食べられるようになりました。家庭でも母が作ってくれたようなラーメンを複製することも容易になりました。

しかしながら、あの「限られた一杯」とめぐり合うことはもうないのでしょう。大事に食べて、麺が伸びて増えることが嬉しかったあのときのラーメン、最後まで麺を残したほうが優越感に浸れるという兄との謎の争いの中心となったラーメン、そんなラーメンとはもう二度と出会えなくなってしまいって、大人になったことに気づくのでした。

ノスタルジア、ラーメン