神と鶏とのすれ違いクリスマス

クリスマスとは本来キリストの誕生日を祝う行事であることは一般的な常識と言っていいでしょう。
そんな背景も特に意識せずに祭り化しているのはいかにも日本らしいというか、なんというか。(主に都市部だけれども)ハロウィンであんなことになっている日本において、クリスマスは夢があって、キリストではなくサンタクロースを信仰する「良き心」的祭りとしてあってもいい気がします。でも恋人たちのクリスマスというのはよくわかりません。結婚前はめんどくさいやつだと思われようとも、カップルでプレゼントを交換することには疑問があるということは伝えてました笑

そんなわけで、一般的には宗教観が薄い日本だと言われてますが、ぼくは非常に同感する場面が多いです。神社信仰などにおいてもそう言えるのではないでしょうか。
一体初詣と言いながら我々は何に祈っているのでしょうか。宮崎に住んでいるときは神武天皇を祀っている宮崎神宮に、鹿児島にきてからは島津斉彬を祀っている照国神社に初詣に行っていますが、わかりますかこの差。神代の天皇と武士、言ってしまえばゼウスとソクラテスぐらい違う、それで同じように「初詣」と我々はいうわけです。

両方とも「神」格として祀られていると言われたら、まあそうですけどとしかいえませんが、そういうことを知っているのとそうでないのは大きな差がある。ご飯を選ぶときだって添加物無添加とか地元産とかオーガニックだとか気になるのと同じ構造だと思うのです。

何にどんな意味があるか考えることは割と大事で、それをしないと何かを大きく損なってしまったり、傷つけてしまったりする可能性があると考えています。それをどれだけ気をつけても何かを損なったり傷つけたりすることはあるんだけども、少しでも可能性を低くできるように。

クリスマスにはシチメンチョウを食べることが多いという慣例なのか、日本でも鶏を大放出するクリスマスです。某フライドチキンチェーンやコンビニなども鶏を大々的に売り出してます。
しかし12/26なるとスーパーでは鶏が丸々1匹500円で売っていたりします。消費者としてはとても嬉しいですが、なんだか理由があるかないかもわからないでとりあえず鶏を売りましょうみたいな消費は好きではありません。
でもクリスマスのために食物となってくれた鶏を、クリスマスだからもういりませんと捨てるのはとてもとてもよくないので、ものすごくお買い得な500円の鶏をありがたく食べることになります。喜んでいいのか、うーんと思うべきなのか。

それでも、鶏はとてもとても美味しかった。美味しすぎて15分ほどで妻と食べきってしまいました。僕は、12/26において神よりもクリスマスよりも鶏に感謝することにするのが一番腑に落ちました。

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オーブンで丸焼きにした鶏。ありがとう、すごく美味しかった