イクラには「様」をつけた方が良いと思う

今週のお題「ごはんのお供」らしいですね。

私はしつこいぐらい北海道出身だということは言って参りましたが、今回もそういう系のネタです。
今回は「イクラ」についてです。しかしながら、話は紆余曲折しながら、長い話になるでしょう。でも気にせず筆を進めてみようと思います。

みなさん、イクラはお好きでしょうか?私はイクラ大好きです。
痛風になるとか、カロリー高いとか、そういうことも聞きますが、全く気にせず食べたいです。イクラ大好きです。

北海道の秋の味覚の一つとしてアキアジがおります。海から川に産卵に戻ってくるシャケです。そいつを捕まえて、卵をいただくとイクラの原料と相成ります。
イクラは、子孫を残す時期を狙って、わざわざ食べるためにとったもの。そう言った意味でも神聖な食べ物な気がします。そして、卵が稚魚になるのをたすけ、稚魚になってからもお腹について栄養源になる、それだけ栄養価が高い食べ物なのです。

そのありがたく頂戴したイクラは、最初からイクラというわけではありません。アキアジの腹からでてきた卵の集合体を「すじこ」と呼びます。正式名称はしりません。とにかくいくらの集合体だと思えば間違いないです。寿司屋で食べると塩っ辛くてこれまた美味しいです。

ある時期になると、スジコはスーパーで売り出されます。もちろん生です(加工品もありますが)。そいつを各家庭でうまいこと調理して、イクラへと昇華させていきます。
他の家庭のことはわかりませんが、私の実家では醤油漬けだったり塩漬けだったり、異なる味のイクラを作ります。

大学生時代に九州に来た私は、毎年秋になると実家からのイクラの支給を待ち望んでいました。その日は白ごはんだけを炊いて、イクラと向き合ったものです。そうやってだんだん大人になると、いくらというものは高いものだということが徐々にわかってきます。学生時代にイクラを誰かに分けるとすごく喜ばれたし、回転寿司に行けば大体いくらは高いものでした。海鮮丼の中では、新鮮な魚のアラカルトよりもウニ丼イクラ丼の値段の方が高いです。
そう、イクラはなかなか食べられない貴重なものなのです。この点は同意いただけるのではないでしょうか。少なくとも庶民である現在の私はそう考えております。

北海道にいた頃の私といえば、母や祖母が作ってくれたご飯を食べ、料理にも興味はなく、スーパーに行けば母や祖母と話してばかりでロクにものの値段を見ませんでした。
もちろんイクラも例外ではありません。秋になったある日、イクラは食卓に上がるのです。

値段のことは気にしてなくても、生来生まれ持った特質なのか、私はケチなのか、スプーン一杯のイクラに対して、ご飯を2杯食べるような少年でした。明太子も5分の1ぐらいにカットしたもので2杯食べていました。兄とその技術をよく競ったものです。
両親はそんな我々をみて、もっとかければ良いのに、と言っていたような気がしますが、気のせいかもしれません。

私は高校生の時、両親から離れ、祖父母の家で暮らしておりました。当時は部活動などが忙しく、帰りが遅く、朝ごはんは祖父母と食べましたが、夜は兄と、兄が高校を卒業し、いなくなってからは一人でもりもり食べていました。別にそれがイヤではなかったし(むしろ楽しかったことも多かった)、祖母の料理もありがたく、特段不満もなく食べておりましたが、やはり私もまだ成長仕切れていない少年であったのでしょう、たまに実家帰って食べる母の料理がとても美味しく感じたものです。

実家に帰るのはおおよそ1ヶ月から2ヶ月に一回ぐらいなものでしょうか。実家に帰った時の母は、腕が鳴るのか、リクエストしたものはなんでもと言っていいほど作ってくれました。今考えると、母もそれなりに寂しかったのかもしれません。
そして、私は食べ盛りも食べ盛り。普段から兄と2人揃えば一食で5合炊きの炊飯器を空にするのは簡単でした。
それでも全然足りなかった。そんな食べっぷりもあり、実家に帰るとたくさん食べていた気がします。

イクラは季節ものなので、大体告知されて出てきました。しかし待ち望んだイクライクラ!いえーい!
しかし生来生まれ持ったケチさが染みついている私は、合いも変わらずスプーン1杯でご飯を2杯食べる精神性の持ち主、例外なくそれを実践しようとしました。
すると、

「もっとかけたら?」

と両親から言われたのでした。
ああ、そうか、いくらはもっとかけていいんだ、と妙にしっくりきていくら丼のように仕上げたご飯は(それでもまだ遠慮はあったのかもしれませんが)、とても素晴らしいものでした。イクラ、最高でした。

私はなぜそんなに生来ケチだったのでしょうか。人生の中で、大きな制約も受けたことは特になかったし、今考えればむしろ色々させてくれていたなと思うのですが、両親の職業柄職いつも働いている両親を見ざるを得なかったのは大きな一因かもしれません。両親はお金の話を私たちにはしませんでしたが、なんとなく、この労働の対価がこの食事なのだ、という感じを身に染みていた気がします。そのように考えると生来のケチではなく、自らをケチになるように律してきたと言えるかもしれません。今となってはとても役立っている能力なのはいうまでもありません。

高校生活で両親の仕事の様子を見ることも少なくなったのもあり、大人の階段を上りつつあった私は少し調子に乗っていたのかもしれません。そう言ったケチさを忘れていってしまいました。明太子は一切れでご飯一杯を、いくらはスプーン1杯でご飯一杯食べるようになっていきます。

イクラが大好きだった私は、母がつけたイクラを祖父母とシェアするために、割と大きめの器に持って祖父母の家でも食べます。イクラは本当に美味しい。
ちょっと危ないかなとも思ったのですが、祖母が作ってくれる弁当にもイクラを載せてもらうように頼みました。弁当がうまいとテンションが上がるものです。幸せでした。
今考えると学校にイクラ丼持っていくやつちょっとやばいですね。気づきませんでした。

しかしながら、イクラを食べる毎日が続くと、今日はノリタマの方がいいや、というのが出てくるのが人の心ではないでしょうか。ノリタマ最高。うまい。
そうやって気づいてきました、イクラにスプーンが伸びなくなっているのを。

そう、イクラに飽きてしまったのです。

イクラ飽きたな〜と思いながらもナマモノだし、食べないとという感じで食べ切りました。「食べないと」ってやばいですよね。昔は数の子は文字通り腐るほど取れた北海道ではよく聞く昔話ですが、そういうメンタリティと近いものがあったのかもしれません。過去に戻れるなら諭したい。いずれイクラを切望することになるだろう、と。

こんなに細かく語ったのは初めてですが、私はこちらでネタとしてよく使うのは、

イクラに飽きたと思ったことがある」

ということです。大抵驚かれますが、北海道で似たような境遇であればさもありなん、という話になるかもしれません。

 

結局何が言いたいかというと、よくわからないのですが、イクラが貴重だからとか、生命をいただいているんだから大事にしなければ、というような話ではないのは確かです。
もちろん食は大切にすべきだし、いくらも大事に食べた方が良いと思うのですが、でも豪快にかけるイクラも美味しいのです。
たまに聞くのが、イクラを大事に食べすぎて腐らせてしまったという話です。論外です。
それであれば、贅沢に食べる方がよっぽどましです。
1日だけ、毎食イクラ丼にして、無駄なく消費しましょうよ。

イクラだけに限った話ではないと思いますが、自分で料理をするようになってから、変なところをケチればあまり味はよくなくなるし、タイミングを逃しても良い味を逃してしまったりすることに気づき始めます。

極端にケチにもならず、何かを捨ててしまうような消費の飽和状態も起こさず、バランスよくうまいものを食べられればなと、書きながら思いました。

それを忘れないように、私はこれからもイクラには様をつけ、イクラが一番いい時期に食べられるように、時に贅沢に、時に大事に、見極めながら食べて行きたいと思う所存です。

 

はあ長かった。もしこんな取り止めのない、思い出話を読んでくださった方がいらっしゃれば、ありがとうございました。書きながらいろいろなことを思い出して、私にもメモリアルな記事となりました。

大人だから、買えよって思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今年もあえて、イクラ様の配給を待ち望んでいます。

 

f:id:keburou:20200913231708j:plain※これはイクラ様は食べる機会も多いからと思って、調子にのってウニ丼を頼んだ時の写真です。数年前、小樽にて