ヒゲマシーン2019

僕はヒゲを生やしている。

ヒゲについての思い出を考えてみよう。
高校生の頃、なんだか中途半端に生えてきたヒゲが顔にフィットしなくてよく剃った。でも剃ってしまうとより濃くなると言われたので一生懸命抜いた。痛かったけど。

大学生の頃、いよいよ本格的にひげが生えてきた。なんだか中途半端に伸ばすと格好悪いし、伸び始めのあの感じが気持ち悪くてこまめに剃っていた。もう抜くのはやめた。

社会人になって、徐々に顎髭に目覚めてきた。顎を剃らないだけで随分楽なもんだった。そして恥ずかしながら顎髭は結構似合っている気がした。この頃から電動髭剃りを使ってヒゲ整えた。

徐々に思想は身体に現れてくる気がしてきた。ヒゲを生やすことがファッションを飛び越えて主張になっている感じがした。ヒッピーに憧れ、自然派を志し、頻繁にタバコを吸った。ヒゲがそういう人間性を表してくれる気がした。ヒゲに飽きたら一旦全て剃ってリセットしてまた伸ばし直した。人生を確かめ直すように。

口ひげを生やし始めた。ヒゲを生やすことが当たり前になってきた時に、口ひげを生やすとどうなるか気になった。伸ばし続けると南アジアの人っぽいと言われたこともあった。顎だけ剃ってリンゴスターみたいにしたこともあったけど、西洋らしくはあったが明治時代的西洋になったのでやめた。結果的に顎も口も全て伸ばすことにした。数ヶ月剃らないこともあった。この頃から結婚式に行くときも「礼儀だから」という理由でヒゲを剃らなくなった。

そうしてだいたい今に至る。今はヒゲを伸ばしすぎても顔を洗いにくいし、妻になんか不潔(なんか不潔?)と言われるようになってきたのでバリカンでヒゲを整えることにした。ヒゲは生やすが適度に伸ばし続けるようにしている。

ヒゲは、文字通り、もはや僕と同化している。ヒゲがない生活が考えられない。ヒゲを剃ってしまうと自分には何も残らない気がしてしまう。そしてヒゲを剃ると血だらけになってしまう、ヒゲを剃ることを体が拒否している。泳ぐのをやめると死んでしまうらしいマグロになったような気分だ。
人に会うときも、仕事をするときも、子供の親であるときも、妻の夫であるときも、地域社会の一因であるときも、どこかに旅に出ても、僕はヒゲを生やしている。
それは他者の眼差しにさらされ異なる意味合いを帯びてくる。たかがヒゲなんだけどきっとそれは大事なことなんだと思う。

最近もヒゲを剃らなければならないかもしれないことがあって、とても悩んでいた。でも、ヒゲは剃らなければいいんだ。そう思うととても楽になった。僕はヒゲに呪われているのかもしれない。こびりついて、剃るでは足りずにもう削がなければならないのかもしれない。
だからこのままヒゲを生やしながらブラブラしていこうと緩やかに決心した2019年です。